吉岡正晴氏=ソウル・サーチン・トークイベント@ストーン= | スイングしなけりゃ意味がない!

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マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズを
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映画と絵本も好き。
週末ランナーでもあります。

どうもです。

少しタイムラグが出来てしまいましたがアップします。


数十年ぶりの大雪に見舞われた東京、雪の翌日2月9日(日)

大久保にありますソウルバー、ストーンにて、

音楽評論家 吉岡正晴氏のトークイベントが開催されましたので

友人達と繰り出しました。


その名も、「ソウル・サーチン・トークイベント」。


吉岡正晴氏のブログにも詳細が出ております。


http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11770302245.html


ストーン


吉岡正晴氏は音楽評論家としても幅広い活動をされ、

その中でもマイケル・ジャクソン関連の著書も出版されています。


今回は、氏のブログやかつての著書のタイトルでもあり、

氏にとってのキーワードとなる単語、「ソウル・サーチン」という

言葉を巡る旅路のお話となりました。


当初、本イベントは「DJ & トークイベント」となっていて、

私はてっきり、

「ついに吉岡さんはDJもされるようになるのか!」と勝手に

先走ってこんな妄想をしておりました。



dj吉岡

DJ吉岡・・・いや、まじで。

舞台となるソウルバー、ストーンは写真を見る限り、決して

ダンスフロアがあるような広い店ではないため、マイクも持って

ターンテーブルも?語りを聴きつつ、我々は踊るのか?と

とんちんかんなことを考えておりましたが。


そんなことはなく・・・(苦笑)

DJ担当を横に、吉岡さんはマイクでもって語り、我々は

着席スタイルで講義を聴くというものでした。

もっとも盛況で立ち見の方もいらっしゃいましたが。


写真の真ん中よりやや左側、カウンター奥にて

着席されているのが吉岡正晴氏です。


吉岡さんイベント


さて。

今回は、吉岡さんが1983年夏にロスとニューヨークへ取材旅行に

行かれ、そこで出会ったミュージシャンや音楽関係者と良い関係を

築けたことが、今日の評論活動や執筆活動につながっている

ということがトークの中心となりました。



まずは、ニューヨークから。

カシーフというミュージシャンにインタビュー出来たことが

大きかった、と。

カシーフは孤児であり、何もないところから自らの力で

道を切り開き、ミュージシャンとして成功します。

当時の彼はニューヨークの広いロフトに住んでおり、

そこでインタビューとなったそうです。


ここで1曲目、カシーフのデビューアルバムより、

「Stone Love」- Kashif


インタビュー後、1983年7月にセントラルパークで開催された

ダイアナ・ロスのフリーライブについて。

なんでも大雨で途中で中止となったものの、翌日急きょ再演となり、

あわてて会場に赴いたけど、人が多すぎて傘しか見えなかった、と。


「Pieces of Ice」-Diana Ross


友人の車の中、土砂降りのマンハッタンを眺めつつ・・・

ラジオからはこの曲がよくかかっていたそうです。

それが、同年のヒット曲。


「Tonighjt I celebrate my love」-Roberta Flack & Peabo Bryson


そう、これって、今や懐かし、小柳ルミ子とケンヤくんの結婚式で

流れて話題になった「愛のセレブレーション」!!!

踊ってましたっ熱烈な熱いキスをかましてましたっ、あの曲です!


で、ここでピーボPeabo Brysonについての小ネタつーか、

若干クレームであります。

彼はライブをやるのですが、毎年セットリストが同じなんだそうです。

本人曰く、「セトリとしてもう完成してるから直す必要がない」んだそうで。

どうなん?その姿勢(^^;)

で、シャーデーの曲をギターで弾き語りをして歌うけど、いまいち

うまくない。

そして、ぜひサム・クックの曲が合うからライブでやるといいと

アドバイスをしても、スルーされちゃったんだとか。

もっとも、ピーボ自身はサム・クックの生ライブを見ているそうで、

今となってはそういう人は貴重なんだそうです、吉岡さん曰く。


さて、ここからお話はニューヨークからロサンジェルスに移ります。


まずロスでの最初ネタは、ジョージ・デュークへのインタビュー。

吉岡さんはインタビューの際、もちろんメモも取り、ボイスレコーダーも

持参されるそうですが、あとで思い返してみると、すごくささいなことの

方が記憶に残っているのだとか。


ジョージ・デユークでいうと、インタビューは朝敢行されたのですが、

なんだかえらく濃いコーヒーをジョージが飲んでいた、そのことを

なぜか今でもはっきり覚えているのだそうです。


「Shine On」-Geroge Duke


すでに1時間経過。ずっと吉岡さんは話しっぱなし。

10分休憩が入りました。


第2部の開始です。

引き続き、お話はロス。1983年8月。


16歳のジャネット・ジャクソンのインタビュー話ですが、何せ相手が若い

女の子で、しかもジャネットはかなりシャイだから、正直インタビューは

しにくかったそうです。

で、横にはパパ、ジョーがいて、ジャネットはずっとパパの顔色を

伺ってばかりいた、と。

ジャネットのインタビューをどうにか終え、パパ・ジョー・ジャクソンと

軽く世間話をしたことのほうが印象に残っていると。

何せ、あのマイケルやジャネットをエンターテイメント界に押し上げた

ステージパパ。ものすごい威圧的な存在感だったそうです。


その翌日は、ご近所のセルジオ・メンデスにインタビュー。


セルジオのインタビュー後、ジャクソン家でジャッキー・ジャクソンの

インタビューとなりました。

彼はマイケルやジャネットのお兄ちゃんであり、ジャクソン5や

ジャクソンズのメンバーです。

そしたらなんと、その日はたまたまマイケルやラトーヤ達も家におり、

少しだけお話することが出来たそうです。

そのことが、後のジャクソンズのヴィクトリーツアーライブレポや

著作活動につながるのだとか。



吉岡さんインタビュー
こんな感じでしょうか・・・。

ラトーヤはとにかくメイク濃くしときゃいいや的

イラストですが(汗)


ここで、ジャネットのデビューアルバムから

「Young Love」-Janet Jackson


後年、レイ・チャールズなどの伝記を手掛けるデヴィット・リッツが来日

した際、一緒に六本木のお寿司屋さん(すしせい、という名前だそう)に

行ったら、なんと、たまたま来日していたジャネットとばったり

遭遇した、という小ネタも!

(すごいなー寿司屋でジャネット・ジャクソンと鉢合わせって!)


ジャクソン家でのインタビューの後、ジャクソン家の野球チームの

話が出たそうです。お兄ちゃんのジャッキーも野球が好きで、

おそろいのユニフォームなども作って楽しくスポーツをしているけど、

なぜかマイケルはスポーツはやらないのだそうです。

あれだけのダンスが出来るので運動神経は素晴らしいのかと思いきや、

案外、ダンスとスポーツってあまり関係ないのかもしれません、とのこと。


ここで、カシーフが再び登場します。

1984年7月、ジャクソンズのヴィクトリーツアーを観るため渡米した際、

ニューヨークでカシーフと再会します。


その頃のカシーフはロフトからコネチカットの高級住宅街にある

邸宅へ移り住んでいました。

その邸宅は、黒人初のメジャーリーガーである、ジャッキー・ロビンソン宅

だったそうです。

未亡人からその邸宅を購入したとかで。


ジャッキー・ロビンソンについては、2013年日本でも公開されました

映画「42」でその偉業について日本でも認知されていますね。

ここで、しばし黒人映画ネタに話が跳びます。

同じような時期に、立て続けに黒人映画が公開されました。

「42」

「大統領の執事の涙」

「それでも夜は明ける」

「ソウル・ガールズ」

吉岡さんがなぜか熱弁、「大統領の執事の涙は見やすい映画だから

デートでもお勧めですが、それでも夜は明けるはかなり重たいから

デートには向きません!!!」

だそうです(^^;)確かに・・・見終わって、ご飯食べながら楽しく感想を

言い合える映画じゃないとね。


で、話が音楽に戻ります。


カシーフ宅でバーベキューをすることになったそうですが、そこに

現れたのが、20歳そこそこのホイットニー・ヒューストンでした。

吉岡さんが日本から来た客人ということで、ホイットニー曰く

「私子供のころ、母と一緒に日本に行ったことがあります」と。

母親のシシー・ヒューストンに連れられて(7歳位だそう)

ヤマハ音楽祭に出たそうです。


「You give Good to Me」-Whitney Houston


そしてここからは、ラジオのお話が出ます。


吉岡さんはその名も「ソウル・サーチン・レディオ」という

ラジオ番組もお持ちなのですが、そのラジオIDを

来日したロバータ・フラックー先ほどの「愛のセレブレーション」

歌った人ですーにお願いしたところ、快く引き受けてくれたと。

そして、かなり完璧主義らしく、何テイクもやってくれたそうで、

その様子の音源を聴かせていただきました。


ちなみに、ロバータ・フラッグは、マイケル・ジャクソンの

ショートフィルム「BAD」で、書き置きをしたママの声でも

登場しています。

確か、「サンドイッチがありますよ」みたいなやつ。

ここで、しばし「BAD」のオープニングからママの声までの

ショートフィルムが流れました。


この後もしばらくラジオネタが続きまして、

お話は少しづつ終盤へとさしかかってゆきます。


1988年グラミー賞を観に渡米した際、

ジョン・ホワイトヘッドへインタビューします。

彼も貧しい環境から努力して成功をおさめ、がっつりと

稼いだのですが、翌年税金が払えずに、なんと刑務所へ。


ジョン・ホワイトヘッドは、

「オレは刑務所でソウル・サーチンをしたんだ」とインタビューで語って

くれたそうです。


ソウル・サーチンーSOUL SERCHIN' /魂の探究・・・


その言葉が吉岡さんの何かに引っ掛かり、また不思議な事に、

その後も何人かのアーティストのインタビューで、

同じく「ソウル・サーチン」という言葉を耳にしたそうです。


このあたりから、吉岡さんにとって「ソウル・サーチン」という

言葉は大切なキーワードになったそうです。


「I need Money Bad」-John Whitehead


I need Money BAD!オレは本当に本当に金が必要なんだよっ

切実です!


その後、ラジオでご自身の洋楽履歴をお話する機会があり、

その録音を学生時代のご友人(インドネシア在住だったかと)に

送ったところ、

ご自身が忘れていた学生時代のことをご友人からメールで

教えられて、ものすごく驚いたのだそうです。


ご友人曰く、吉岡さんは高校時代に放送部に所属し、

昼休みにエレクトリック・フラッグの「ソウル・サーチン」を

テーマソングでかけていたよね、と。


なんと約40年近くの時を経て、点が線になっていった・・・とのこと。


てっきりジョン・ホワイトヘッドから教わったかと思っていた言葉ですが、

すでに高校時代に出会っていたのですね。


「Soul Serchin'」-Electric Flag


ここまで、第2部はノンストップで2時間!

最後の曲となりました。

「Street Life」-David T.Walker


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いやー楽しくもとても豊かな時間でした。

学校の授業がこんな感じなら良かったのに!


マイケル・ジャクソンをきっかけに洋楽に興味を持ち、少しづつ

いろいろークインシー・ジョーンズやナイル・ロジャースなどの

ライブにも行き始め。

今回、吉岡さんのトークでまた少し洋楽のキャパを広げられたらと

思っていましたが、一方でお話についていけるかな?という

不安もありました。


でも、とっかりやすい曲が多かったことと、

お話に一本テーマが絞り込まれていたことで、とても

分かりやすく、洋楽の知識を1段階増やせたと思います。


また、かねてより吉岡さんブログを拝見しつつ、

ソウル・サーチンって素敵な言葉だけど何だろう?と思っていたので、

その謎が今回のトークイベントで明らかになりました。


また少しづつ、この日伺ったミュージシャンの音楽を

聴いてみたいと思います。



☆おまけ


イベント参加者には、もれなくこんなお土産付き♪


吉岡さんお土産


中身はこちら。


吉岡さんイベントチョコ

うわーい、チョコだ!しかも吉岡さんピグ付き♪って・・・

おりしもバレンタインデー直前・・・

むしろ、こちらからチョコをお渡しすればよかった・・・。

すみません、ドカ雪で頭が一杯でっ

次回は何か差し入れの一つも持って馳せ参じますっ!